塀の上

田中角栄元首相は「あいつはいつも刑務所の塀の上を歩いているような奴だ」と吉田茂元首相から言われていたそうです。

残念ながらどちらの方も世代的によく知らないんですが。

刑務所側に落ちれば罪人、外側に落ちればただの人というわけです。

組織に関してそれと同じような話を「バカの壁」でおなじみの養老孟司先生もおっしゃっていました。

組織側に落ちれば組織人。外側に落ちれば部外者、赤の他人というわけですね。

養老先生は組織の中で生きるのは苦手だったと仰っています。だから塀の上を歩いてきたけども、最終的には退職して清々したと。

そうした話を聞いて自分自身を振り返ってみると、私もなかなかに「塀の上を歩いている人」だと思います。

正確には「塀の中で精一杯動き回っていたんだけども、息苦しさや違和感を感じるようになり、塀の上によじ登った。だけれども塀の外に出る勇気もなくて、塀の上をフラフラしている人」といった感じでしょうか。

私は組織の中で生きていくというのがどうにも苦手です。改めて振り返ると、学生時代からそいういった傾向はあったように思います。

それでも社会人になり、がむしゃらに働いた。だけれども歳を重ねるうちにどうにも心が身体に追い付かなくなり、調子を崩すようになった。

そうして必死に塀の上によじ登ったわけです。あるいは逃げたと言ってもいいですね。

塀の上に登って感じたことは二点あります。一つは「塀の上を歩いていくには芸が必要」ということ。これは養老先生も仰っていました。

皆が塀の中で動き回っている中で一人塀の上に立てば当然目立ちます。

「あいつは何であんなところにいるんだ」と言ってくる奴もいる。「そんな所にいないでさっさと戻ってこい。さもなければ外に行け」と言ってくる奴もいる。「君は外の方が活躍できるんじゃないかな」などと優しい言葉で塀の外に行くことを薦めてくる奴もいる。

そういった中にあって、それでも塀の上を歩き続けるには芸が必要です。あるいは胆力が必要でしょう。

私は大した胆力は持っていませんが、「知識の収集」と「顔色を伺う」というのは人並みにできるようで、「今のところは」何とか塀の上をフラフラしています。

もう一つは「塀の上に登ると視界が広がる」ということ。

塀の上に登ると今まで見えなかった景色が見えるようになります。塀の中の世界の良いところと悪いところ、塀の外の世界の良いところと悪いところ。そういったものが見えるようになる。

個人的には、これはとても大事なことだと感じています。

私の周りにいる人は極端な人が多くて、「塀の中で生きられないなら外に行く」という選択肢を取ります。

ただいつまでも塀の外で生き続けることはできないから、別の塀の中に入れてもらう。そこが合わないからまた出ていく。そして別の塀の中に入れてもらう。そういった生き方ですね。

別にそれに関しては良いとも悪いとも申し上げません。ただ、「塀の上に登る、そして高い視点で一度周りを見てみる」という選択肢もあるよなと、個人的には思うわけです。